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見ル野栄司氏インタビュー「見ル野栄司の男泣き」(3/3)

11/05/23 12:00

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3 今はチャンス?常に開発精神を忘れない



― ちなみに、見ル野さんは漫画家になろうって思ったのはいつ頃ですか?

小学校3年のころかな。
キン肉マンが好きで応募したんですよ。

― 超人募集ですか?

いや、16ページのプロレス漫画をジャンプに。

― えっ!?漫画の原稿をですか?

そう、9才で。
確かその時の年齢制限は10才以上だったんですけどね。(笑)
まぁ、もれなく落選で。
その頃はスクリーントーンも面倒臭い時代だったんで
中学校1~2年くらいまで描いてたんだけど止めちゃったんですよ。
で、高校からはバイクとかパチンコとかに興味がいって普通の高校生として育って。
漫画はもう「描くのが面倒くさい」って事でバカにしてたんですよ。
じゃあ、ある時に
いましろたかしさんとか、吉田戦車さんとか、しりあがり寿さんとか
ガロの漫画を読んでしまって。すると、また火がついてね。
20才の頃からまた描き始めたの。
アシスタントに入るか?独学か?って考えた時に独学を選んだ。
じゃあ、バイトか就職しなきゃなんないんで・・・就職したの。
そこで、働きながら漫画を描いて持ち込みしてってやってたら
いつの間にか10年経ってて。(笑)

― 20才に出会った漫画体験が、人生を変えたんですね。

そうですね、なんか「楽しい」ってイメージがあってさ。
これを仕事に出来たらどれだけ楽しいだろうか?っていう。
何か「モノが出来上がる時」が面白いんですよ。
会社にいた頃も開発部で機械とかをつくる仕事だったんで、
機械が完成して動く時も「面白れぇ」って感じで。
そういうタイプなんですよ、職人系なんですよね。
だけど会社となると組織なんで、
1台まるごと自分に作らせてもらう事なんか出来ないんですよ。企業の商売だしね。
その点、漫画は1人でつくれるし経費も掛からない。

― 昼は機械をつくって、夜は漫画をつくっていうのを続けて。

そうそう。その後、25才の時にゲーム会社に入ったんだけど、その会社が倒産してね。
それからは派遣社員をしながら漫画の持ち込みを続けて・・・100回くらい行きましたよ。
その間に色んな人がデビューしていってね、悔しかったです。

― じゃあ、会社には嫌々行っていた感じですか?

仕事は面白かったんですけど、
毎日同じ人と同じ時間に働いて残業して21時に帰るっていう生活が辛かったですね。
21時に帰ってきて、朝の3~5時位まで漫画描いてね。(笑)

― 仕事と漫画の切り換えが出来て、両立を続けたっていうのは凄いですよ。

まぁ、あんまり考えてないんですよ。
何ていうか・・・ナメてるんですよ、人生を(笑)
その方が物事に突入しやすいの。

― その機械をつくっていた経験が、今は漫画のネタにもなってますからね。

本当は封印してたんですよ。
働いてた時のことを描くのは申し訳ないなっていうのがあって。

― 申し訳ないというのは?

漫画家として「漫画だけで勝負したい」っていうね。
『シブすぎ』は自分の作品の中では売れた方だけど、
世間から見れば・・・やっぱり100万部位いかないと「売れた」ってならないんですよ。
それにエッセイの棚だったから。
やっぱりコミックの棚で勝負したいから。
今はその準備をしてますよ!
俺は持ち込みとかガンガン行きますし!

― 『シブすぎ』を経て、その先へ前向きな姿勢がヒシヒシと伝わってきますね。

もう時代が違うんですよね。
一昨年くらいまで自分がやってた事は古かったんです。
ギャグをイジってネームを描いて出して
「売れるかなぁ?」って願いながらずっと待ってるっていう。
そういうのはもう古いんですよ。
とにかく今は早いですからね、世の中の展開が。

― 昔の自分には「待ってるだけじゃ何もないぞ」って言ってやりたい?

まぁ、あの時代があったからこそ今があるわけで。
俺は昔から漫画を持ち込みに行く前に話をしに行くんですよ。
色々と聞きながら「いま雑誌に欲しいものは何か?」を探ってね。
その枠に当てはめてネームをきるっていう具合でやってたんですよ。
それでギャグ筋肉も鍛えられたし。

― まさに営業ですね

そうそう(笑)

― やはりその辺りがもともと会社員だったところですね

出版社としても売れるにこしたことないですからね。
1万5千部でも当たりって言われるくらいの出版不況だから。
でも、逆にチャンスですよ。

― チャンス?

だから、昨年度は種まきに入っているんですよ。
前回の収穫は終ったんで。
今年度は忙しくなってると良いんですけど。
地道に漫画を描いてますよ。

― 豊作になる事を願っております

そうだね

― ちなみに、先を読み間違えた事はあるんですか?

ありますよ、例えば『東京フローチャート』っていう漫画は
実はi-Padとかi-phoneの専用にって考えて5年前から作ってたんですよ。
なのにi-Padがでる前に連載が終っちゃって。(笑)
だから自分でPDFにしてi-Padに入れて読んでみたんだけど…全然面白くなかった。(笑)
たいしたアイデアではなかったなって。

― やっぱり読みづらい?

そうなんだよね、だからハズレも多いですよ。

― しかし、常に時代には目配せしてされているわけですね。

松下幸之助さんが言ってたんですけど
「半歩先を現実にして、1歩先を開発して、4歩先を夢見て」っていう言葉があるんですよ。
常に開発精神を忘れないっていうね。
いやぁ…、勉強になりましたよ。

― 松下幸之助さんって、パナソニック(旧社名:松下電器)の創業者の?

そうそう、あの方はヤバイんですよ…。
初めて日本で電池付懐中電灯をつくった人なんですよ。
電池というものが終戦後、売れなくなっていったんですね、
その頃は一般家庭にそんなに電池は必要なかったから。
そこで電池だけをつくっている会社が倒産していってる中で
松下幸之助さんは「電池+α」ということで
懐中電灯をつけて売ったんですよ。じゃあ、バーンと売れてね。
そこから世界のMATSUSHITAが始まっていく訳だけで…(略)

― まさか…漫画の考え方を松下幸之助さんに学んでいたとは(笑)

やっぱり理工系なのかな(笑)

― 話を聞く限り「何かを表現したい」というアーティスト気質とは間逆の・・・

完全に技術者気質ですよね。

― 需要に合わせて開発していくという

何かね、漫画に近い部分があるんですよ企業系の開発モノって。
漫画を読む人が減ってきている状況で「なら、どうするか?」っていうような。
最近は「だったら、いっそのこと」って考えているんですけどね。

― おっ!漫画を読む人が減ってきている状況で、だったら、いっそのこと・・・?

まぁ、色々と準備してますよ(笑)

―完―


(取材:ハヤマックス)



見ル野 栄司 (みるの えいじ)

1971年生まれ、漫画家。日本工学院専門学校メカトロニクス科卒業。
半導体製造装置やアミューズメントゲーム機などの設計開発の会社に10年勤務した後に、
2000年『月刊IKKI』掲載の「東京ソレノイド」にて漫画家としてデビュー。
その後、ビックコミックスピリッツやヤングジャンプなどで連載。
代表作に、世界初のフローチャート式漫画「東京フローチャート」「シブすぎ技術に男泣き!」など






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