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寺田克也氏インタビュー「なぜ絵を描くのか?寺田克也という人物に迫る!!」(1/8)

11/01/04 10:00

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「卵が先か?鶏が先か?」てなことで漫画も「絵が先か?ストーリーが先か?」となると
…まぁ、それは人それぞれで。まして正解があるってものではないでしょう。
だけど、漫画家さんの話を聞いていたら多くの方の原点は「落書き」なんですね。
昔から落書きが好きで、漫画を描くようになってというような。

そこで今回はその原点である「落書き」という点に注目しながら
自称:ラクガキングでもある漫画家の寺田克也さんに突撃インタビュー!!
果たして、寺田克也という人物はなぜ絵を描くのか?




1 モノゴコロついた時から


■ 生まれは岡山の玉野市

― 寺田さんは岡山県出身で?

その通りですね。岡山県玉野市、瀬戸内海に近いところ。海の向かいは香川県の高松でね。
ハイ。では、玉野市出身のマンガ家といえば?

― えっ・・・寺田克也ですか?

がははは。いしいひさいちさんですよ。あと一条さん。

― あの少女マンガの一条ゆかりさんですか?

そう、あの二人が玉野市の生んだ二大マンガ巨頭ですよ。
なかなかのマンガ家輩出ぶりでしょ?

― 凄いですね、大きな町なんですか?

いやいや、田舎ですよ。
もともと三井造船の造船がメインの町で、漁村という事ではないし。
オレの子供の頃は、ほとんどが三井造船勤務で友達もみんな親は造船所勤務でしたね。

― じゃあ近所には造船所があるという?

ドック(船の製造、修理、係船、荷役作業などのために築造された設備及び施設)があって、子供の頃は進水式とかを皆で見に行ったりとかしてたよね。
でも、造船不況か玉野で船が造られることが無くなってきて・・・
オレが子供の頃は、普通の田舎町だったんですけど
高校を出て東京に行った辺りから完全に造船が駄目になってきてさ。
高校は電車で通ってたんだけど当時は1時間に快速と鈍行と2、3本ずつくらいあったんですよ、10両編成の。
玉野市にある宇野港からフェリーで高松に渡るから、いわば四国の玄関口だったの。
でも、瀬戸大橋が出来たら人が来なくなってね。
上京してから7,8年ぶりに玉野に帰ったら、1時間に1本になってて車両も2両になってたの。2両ってね・・・(笑)で、駅降りたらすっごい寂れててね。

― なんか切ないですよね

今はマシになってるけど、「うわー、町がこんなに寂れていくんだな」って。
・・・まぁ、それだけの話ですけど。

― もしかして、寺田さんのマンガに機械がよく出てくるのも、そうした造船所のある町で育ったという名残から・・・?

あぁ、なるほどね・・・それは無いです。(キッパリ)

■ モノゴコロついたの頃から「絵で食べていこう」と

― 絵は子供の頃から描かれてたんですか?

ちっちゃい頃から絵は描いてましたよ。
モノゴコロついた時から「絵で食べていこう」と考えてましたね。

― モノゴコロついた頃から!?

絵以外で何かやろうと思った事は一時も無いもんね。
「将来はパリに渡って画家で生活」みたいなのを幼稚園の時から言ってた。
でも、それは絵を描く職業を画家しか知らなかっただけで
小学校に入ってから初めてマンガというのを知って「マンガ家になる」に変わるんですよ。
「オレが描きたいのはマンガじゃ」ってね。

― そこからはずっとマンガ家に絞って?

でも、高校くらいになるとイラストレーターの方がお洒落な感じになるんで
「やっぱイラストレーターかな?」って(笑)。
要するにオレの中では「絵を描く」って事が好きだったの。
絵を描く背景には必ずストーリーみたいなのがあるから、イラストもマンガもオレの中では差別が無くて。それに、マンガ家は大変そうなので。(笑)
その頃ストーリーを作る力はあまり訓練してなかったし、
その力が自分にあるのか無いのかも分からなくて。
自分が描いたマンガも完結したことはないし、ほとんど描いてなかったから
「結局、オレが好きなのはマンガの絵なんだ」という意識が強くて
「マンガを描く」っていう感覚がその頃はまだ無かったんですよ。
だから高校の時からはイラストレーターに絞って
「高校出たら東京に行ってイラストレーターになる」って決めてた。

― そもそも「絵」に興味がいたのは誰かの影響ですか?親、兄弟とか?

親は三井造船、兄貴もちょっと絵を描いてたけど・・・別に誰の影響でもないね。
子供の頃に絵を描いてたら誰かに褒められたからみたいな。

― 褒められた記憶とか今でもありますか?

あるある、いつ頃かは分からんけど。
末っ子で可愛がられていたっていうの大きいかもしないけど
誰も傷つきやすい子供心に「この下手クソ!」って罵るような大人がいなかったのが一番大きいじゃないかと。

― ははは(笑)

「上手やねぇ~」って。子供はそれで喜ぶからね、アホやから。
それを信じて、オレはコレしか無いって感じになっていくから。

― ちなみに、そうした絵はちゃんと紙に描いてたんですか?

オレは末っ子で要領が良かったから、兄貴が怒られているのとか見ると
「コレはしちゃいけないんだ」ってのがちゃんと入ってたんで壁に描いたりとかしなかったですね。(笑)
基本的に紙。それに紙に描くのが好きだったんで、壁って描きにくいでしょ?
時々オヤジが造船所からいらなくなった紙の束を持って帰って来るんで、その裏に描くのが一番好きやったね。

― 例えば何を描いてたんですか?

何だろね・・・思い出せないけど
とにかく何かを描いてるのが好きで、描く事で落ち着いてたじゃないかな。
だから、子供の頃から絵以外の仕事に就く事は想像したことも無かった。

寺田 克也 (てらだ かつや)

1963年12月7日生まれ、岡山県玉野市出身。
イラストレーター、漫画家、ゲーム・映画のキャラクターデザイン、小説の挿絵など様々な分野で活躍。滅法絵のうまいイラストレーターと評判で、海外にまで熱心なファンがいたり、「ラクガキング」と名乗るほど膨大な絵を描くことでも有名。

WEB) terras book
BLOG) terada's book brog
SHOP) TEE PARTY / 寺田克也半袖店




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