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寺田克也氏インタビュー「なぜ絵を描くのか?寺田克也という人物に迫る!!」(3/8)

10/01/06 10:30

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「卵が先か?鶏が先か?」てなことで漫画も「絵が先か?ストーリーが先か?」となると
…まぁ、それは人それぞれで。まして正解があるってものではないでしょう。
だけど、漫画家さんの話を聞いていたら多くの方の原点は「落書き」なんですね。
昔から落書きが好きで、漫画を描くようになってというような。

そこで今回はその原点である「落書き」という点に注目しながら
自称:ラクガキングでもある漫画家の寺田克也さんに突撃インタビュー!!
果たして、寺田克也という人物はなぜ絵を描くのか?




3 その時、音をたてて世界が自分の都合の良い風に


■ もう『絵』しかない中学生時代

― 中学になってくると、絵以外のモノに興味がいったりしませんでした?映画とか音楽とか?

音楽を聴こうが映画を見ようが、興味があるモノは全部「絵」に繋がっていくんで。
別に意識的にというわけでも無いけど
「でも、自分の出来る事はコレだけだしな」っていう。
要するに、自分の心のより所は絵しか無かったっていうのがだんだん大きくなっていってしまって。中学くらいになると自分は勉強が得意じゃないっていうのもよく分かってるし、その頃はチビだったんで運動させても人と同じだけの運動量もこなせない。
もう・・・人からちょっと「絵が上手いね」って言われる事くらいしか心のより所がないわけ。
だから余計に意固地になって「もう、絵しかない」ってなってたかもしれない。

― それに、昔から「絵」はやりたい事だったというのもあるし。

いや、やりたい事っていうか、ホントにそれしか無かった。
やっぱり子供は世界が狭いじゃないですか?家庭と学校と友達しかないので。
すると、自分では納得してなくても少しでも周りから認められているモノにしがみつくしかないの。チビだったし、体力も無いし、成績も良くないし、別にモテるわけでもない、何も無いから「オレには絵しかない」って。

― 客観的に自分を分析していたんですね。

それは何となく早かったですね。
脳内は早熟だったんじゃないでしょうか?身体は未熟だったけど。

― じゃあ「絵しかない」と気づいてから具体的に絵を学び始めたりしたんですか?

うーん、学び出したっていうか、その頃は学ぶ道具も材料も無いもんね。

― 玉野には?

玉野だろうがドコだろうが。
本を買うお金も無いし、その本だって今と比べると絶対的に無かったから。
本屋に行ってもデザインの本なんてまず無いし。
その中で、石ノ森章太郎の「マンガ家入門」とか皆が読んでるようなものしかないから
それを読んで具体的に「こうやってやるんや」っていうくらい。
だから、あとは自分で読むモノとか見るモノとかが全て絵に繋がっていくっていう感覚でしかないと思うんよ。それは意識してじゃなくて、自分が良いと思ったものを取り入れていくっていう仕方しかないので。
もともと、本とかはまあまあ読む子だったから子供の頃から大人向けの文庫本とか読んでて。だからモノの見方とかは本から学んで。

― ちなみに、どんな本を?

SFとかその頃はオレの中で流行ってて。
最初はハヤカワ文庫の『キャプテン・フューチャー』っていう子供向けのスペースオペラなんだけど、そっからSFに走っていくので。
小学校を出る頃には、ハヤカワのSF文庫とか結構読んでて。
だから、本が1番大きいですよね。

― そのSF小説を読んでイメージしたものを絵に描いたり?

いや、そこまでもしてない(笑)
ただ、読んでただけ。具体的には何もしてない時代がひたすら続くだけですよ。

■ チャクラが開く高校時代

― 高校に入っても何もしてない時代が続くんですか?

いや、中学校の頃に「マンガ家になりたい」というものの2ページ以上マンガを描いた事が無い寺田少年がいて。
その頃に「デザイン画」とか「イラストレーター」という単語をちょっとだけ小耳に挟むんですよね。
で、中学校の2年の頃に松山にいる従兄が松山の高校のデザイン科に通ってるていう事を聞いてね。その時に初めて「高校にデザイン科が?」って知るの。
高校ってのは普通科しかないと思ってたんで。
何か、その時に音をたてて世界が自分の都合の良い風にちょっと変わっていった気がしてね。「そこに行ったらでえれえ楽しいんじゃねえん?」って感じで、
「デザインの事とか学校で教われるんや!」ってね。
で、親に「松山の兄ちゃんとこに住んで、松山のデザイン科に行けんかな?」って聞いたら「アホか」って言われて。

― アホかと(笑)

ええ。「とりあえず普通科の高校を出て、デザインの大学に行けばええじゃない」って。
親としては凄く真っ当なことをおっしゃって。
デザイン科なんて、潰しが利かなくなるからね。
まぁ、「その通りでございますね、お母様」ってな感じで。(笑)

― でも、頭の中にが「デザイン科」って言葉が輝いてるわけですよね?

もう、「めちゃめちゃ楽じゃが!その高校!!」って感じでね。
で、探してみたら岡山にもデザイン科の高校が2校あったの。

― おっ!

その岡山工業高校のデザイン科が結構倍率が高くて、オレの学力じゃ難しいかもしれんって言われてね。ビビリなんで、「じゃあ、やめとこかな・・・」って。
やっぱり親から見ると子供っていうのはちゃんと生活していって欲しいので
ウチの母親も「そんな若いうちから専門の道に決めて失敗したらどうするの?」と。
もの凄い正論ですよね。オレもその正論に勝てるほどの説得力を持ってなかったんで。

― じゃあ、親に従うしかないと。

ケンカしてまで自分を押し通すっていう事が出来ない流され人間なんで。
「それもそうだし、お金出すのは親だし」みたいなところで、
普通科の進学校のタマコー(玉野高校)でイイやってなってたんですね。
とりあえず滑り止めに別の高校も受けて、その滑り止めの高校が受かった時に・・・
オレももう忘れてて、相手の友達も覚えてないんだけど
「好きなんじゃったら、そのデザイン科に行けばええが?」
ってな事をオレが友達に言われたみたいなのよ。イイ話なのに覚えてない(笑)。
で、願書の〆切の日にウチ帰って母親に
「やっぱりタマコー辞める!どうしてもデザイン科に行かせてくれ!」って言ったんですよ。でも、今決めないと駄目になるんですね。
するとお袋が「そんなに行きたいんなら、分かった」っと言ってくれた。
だから学校まで走って戻って、先生に願書を岡山工業に変えてもらったんですね。
するとあっさり試験も受かってね、倍率が高かったのも滑り止めに皆が願書出すだけで実際はオレを含めてバカばっかり集まってただけで(笑)。
それで結局、3年間デザイン科に通えたんですね。またやっぱり思ってた通り楽しくて。
勿論、普通の授業もあるけど、製図引いたりとか、デッサンとか、デザインの授業があって。もう本当に夢のような3年間でね。

― もう、楽しくて仕方ない?

灰色の3年間が待ってるとばかり思ってたんでね。
それはもの凄いオレは・・・もう何でしょう・・・チャクラが開いた状態?(笑)

― ははは(笑)

もう楽しいばかりで、何の苦労もなくて。

― 教わる事をドンドン吸収していって?

課題自体はしんどいし面倒くさいだけなんですけど
「普通の勉強をしなくて良い」というオンリーが素晴しいことで、僕にとっては。

― あ、そっちですか。

えぇ、そっちですわ(笑)
普通の授業はクタァ~ってなってるけど、1日の半分は専門の授業デザインの勉強とか絵を描いたりとか。もうめっちゃ楽しいわけです。
きっと普通科の学校に行ってたら・・・オレは辞めてたと思うね。
それぐらい嫌だったので、本当に良かった。
そこで学んだ事っていうのは意外とあんまり無くて、結局は楽しいだけだったから。
でも、絵の描く時間は確実に増えたわけだから高校の時にグッと自分の絵の描く力が伸びたよね。努力のしかたを知らなかったけど、その方法を覚えたみたいな感じで。
で、オレとしては若さ由来の闇雲に変な自信だけがあったので、当初の予定通り
「卒業したら東京に行ってフリーのイラストレーターじゃ」って思ってたんですね。
けど、先生が「それは甘いで」と、それは無理じゃ、と。
「まずは学校に行って、仕事がどういう風に東京で流れているのかを見たほうがええよ」って話をされて。「それもその通りじゃな」って思って。
大体、人の言う事を聞くというね。流され人間としては。

― また正論を言われたんですね(笑)

「そうですね、先生」ってなもんで。
でも、美大とかには行く気がなかった。

― というのは?

自分の気持ちとしてはもうすでにフリーのイラストレーターだったので(笑)。
入るだけ入って、途中で仕事出来るようになればいいやって考えだったから
「だったら専門学校でいいや」って。
先生に専門学校だったら桑沢(桑沢デザイン研究所)と阿佐美(阿佐ヶ谷美術専門学校)がいいよって聞いたから
「試験の無いのはどっちですか?」って聞いたら「阿佐美や」って言われたんで、じゃあ阿佐美に行こうと決めたの。

寺田 克也 (てらだ かつや)

1963年12月7日生まれ、岡山県玉野市出身。
イラストレーター、漫画家、ゲーム・映画のキャラクターデザイン、小説の挿絵など様々な分野で活躍。滅法絵のうまいイラストレーターと評判で、海外にまで熱心なファンがいたり、「ラクガキング」と名乗るほど膨大な絵を描くことでも有名。

WEB) terras book
BLOG) terada's book brog
SHOP) TEE PARTY / 寺田克也半袖店




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